池澤 尊明

パイロットになるまでのHISTORY

池澤 尊明
〇氏名 ︓
池澤 尊明
(いけざわ たかあき)
〇入社 ︓
2020年度
〇略歴 ︓
東京都立航空工業高等専門学校 機械工学科 2005年卒
他社就職後、自費でライセンスを取得しAIRDOへ入社

〇 Q1:パイロットになろうと思ったきっかけ

 将来は手に職をという意識が強く国内でも珍しい航空工業高等専門学校へ進学し、進学後に様々な学びを重ねる中でパイロットという職業を知り意識をするようになった。
 卒業時期の間際になって、自分の将来を考えたときに頭の片隅にあったパイロットを職業にしたいという強い意識が芽生えました。
 その際に、航空大学校への進学などの選択肢もありましたが、自分の中で航空大学校の受験にハードルを上げてしまい一度は諦め、飛行機の近くで仕事ができる整備士の道を選択しました。整備士になってからは、常に業務に従事しながらも心のどこかでパイロットへの憧れや意識が向いていました。真剣に職業=パイロットとして決意した所、自分の置かれた環境の中で一番のハードルになるのが年齢および金銭面だと絞り込み訓練資金を工面し始めました。借り入れは一切行わず月20万円程度貯蓄をして、資金面でのハードルが乗り越えられることを確信したのが30歳頃でしたのですぐに基礎ライセンスの取得を決断しました。

〇 Q2:取り組んだこと・苦労したこと

 将来職業としてパイロットになるということを決断するまでは、気持ちの揺らぎと、悩みを抱えた時間が最も苦労しました。
 20代後半に差し掛かると、30歳という一つの節目を迎えるという数字的な焦りがあり、パイロットへの道を歩むか否かという悩み考える時間が多くなりました。
 しかし30歳を迎えるころに、自分の人生の分岐点となる結婚ということと重なり、その時私の悩んでいる姿を長い時間見守ってくれた妻が背中を「とん」と押してくれた時に決意を固めることができました。

〇 Q3:学生時代から入社するまでに行った記憶・思い出に残っている事

 中学校2年生くらいから、将来は手に職をつけその道を極めたいという意識がありました。それに加え、工業高等専門学校でしか学べないことが多いことと、将来性に魅力を感じ進学しました。80名で入学した同級生とは5年間寝食を共にして、阿吽の呼吸で分かり合えるという素晴らしい関係性を得ることができました。また工業高等専門学校では進級試験という関門が毎年あるため、それらを乗り越えるためにもクラスメイトとの絆は強固でした。
 前述の通り、人間関係が濃密であることと、プロ意識については特に工業高等専門学校出身者はだれにも負けない強みであると振り返ります。
 就職するために、心身および技術も鍛えられるという面から私自身の人生の中で大きな糧になっていると思いますし、今の職業でも活かせている能力・軸であると思います。

〇 Q4:AIRDOのパイロットとしてのきっかけ

 東京出身であったため、東京に帰りたいという気持ちとともにパイロットとして訓練を重ねた第2の故郷として北海道の存在があった為AIRDOのパイロットを受験しました。
 私はAIRDOではパイロットとしてはもちろんのこと社会人として、社員が一丸となり日々の運航を成し遂げたいという想いがあります。

〇 Q5:AIRDOの自社養成を目指す方への応援コメント

 今回AIRDOの自社養成制度が構築されたことによって人生の選択が増えたチャンスであると思います。
 私が新卒の時には大手でしか実施していなかった自社養成制度であるため北海道の魅力が沢山詰まったこの制度を活用し夢を現実にしてほしいです。自分には遠い存在だと思うパイロットの世界かもしれませんが時間の経過で選択肢を狭めるよりもサポート制度を活用して是非、憧れからパイロットへの夢を実現させてください。

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